虫歯になったワニ

好きなモノだけを書いていくやつです

親知らず

「申し訳ありませんが、今日は夕方から電話には出れません。急ぎの用でもメールください」
取引先への送信メールに、そのように添える。


長いあいだ抜くか抜くまいか悩んでいた最後の親知らずを今日抜いた。
治療後に口をゆすぐと、口内の半分が麻酔で麻痺していたため、端からだらしなく水が垂れる。「あ、あ、」とティッシュを充てがう。情け無い。

 

春になりずいぶんと日が長くなったせいで、18時だというのに商店街はまだまだ明るかった。口内が爆ぜたこんな日は、夕飯はやわらかいうどんにしようと決めていた。
行きつけのスーパーに寄り、必要な材料をカゴに入れる。しかしある材料だけが棚に無い。そばやうどんの棚にも、麩や乾物の棚にもない。諦めるか?……いや、諦めたくない。

 

「て……てぇ、ん、か、す」
きちんと天かすと発音できるか、誰もいないドレッシング前の通路で確認する。なんせ、舌が2倍に膨れてしまったかのような感覚なのだ。それに、口内の右半分は他人の口内を無理矢理縫い付けたかのようだった。


僕は「て、ん、か、す」を何度も繰り返し練習すると、よし、と決意し近くにいた店員に慎重に「てんかす……」と尋ねた。店員は「ああ」と言い、僕をお好み焼きの材料コーナーに連れていった。なるほど、天かすはお好み焼きの材料としてカテゴライズされているものなのか。

 

しかし安心したのもつかの間、店員は「大きめのやつ、普通のやつ、小さいやつ、とありますが」と僕に聞いてきた。他人の口内を無理矢理縫い合わせている僕にとって、もはや好みの天かすのサイズなどどうでもよかった。しかし、「どれでもいい」なんて難易度の高い返事は無理だ。ここは「普通」が一番簡単なハズだ。フツー。よし。

 

「フェ、フュ、フュトゥー」

 

店員は必死な形相の僕を見てギョッとし、「どうぞ」と小さめの天かすを渡してくれた。まったく伝わってない。

 

関係各位、明日から電話OKです。